食品ロスを考える会議に参加した。
環境省の方や、大企業の方や、政界の方、さまざまな方々が、
総勢30名以上。
その中、自分の心に響いたのは、
青森のリンゴ園で、摘果リンゴをシードルにしている方。
リンゴ農家はこのままでは、産業としてなりたたない。
全体の労力のうち、「収穫する」作業は15%だけ、
「捨てる」作業が85%。ということだった。
摘果も=捨てる作業。
それでシードルを作ることで、マイナスがプラスになる。
というお話だった。
この方の、活動ももちろん素晴らしいのだけども、
それ以上に、
とつとつと語る、その言葉に重さを感じた。
いろんな葛藤やもがき、軋轢、説得、挑戦、失敗、
そんなものをかいくぐって結果をだしている人の持つ、
独特のオーラのようなもの。
それは、覚悟といっても良く、
今一時の解決策では無くて、
ずっと続いていく文化を創っていきたい、
という時間的な粘り強さだとも感じた。
それが、言葉の重さになる。
きっと、昔の人達にとっては、
話しの上手さや、巧みさよりも、
言葉の重さが重要だったんだと感じる。
だから、しっかりした人が皆を引っ張っていけたんだと思う。
自分もいつの日か、しっかり重みの効いた言葉を発したいと思いつつ、
今日も、八方美人なワハハで軽いトークをしてしまいました*(^o^)/*
「男はぐっとためているものが目力にでるんだ」
高倉健の言葉を胸に、明日からまた精進します。
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