
8月6日、原爆の日ですね。
僕は広島で生まれ育って、親世代、祖父母世代を誇りに思っています。
それは、
原爆の復讐としてアメリカ人を誰かが襲ったみたいなことを、
一度も聞いたことが無いどころか、
そういう発想を生む空気すら無いことです。
30万人の無抵抗の親兄弟我が子を生きたまま焼き殺されたり、放射能で殺されて、
悔しくない?
そんなはずあるか!
復讐心を忘れた?という文章を見ることがありますが、
ふざけるなー!
と思います。そんなはずありません。自分の親や子どもが同じ事されたら。
想像すれば分かるでしょ?
その煮えくり返る心を、悔しくてしょうがない想いを、
他人に向けなかったんです。
そんな行為は、弱いものの行為だと。
こんな虐殺された上に、心まで蹂躙され、
弱い負け犬根性にされたのでは、二重に悔しすぎる。
だから、やり返さなかったのではないでしょうか?
だからこそ、
言葉に言い表せないほどの強さを感じ、尊敬するのです。
みんなわかっているはずですが、
核攻撃を抑止するためには、式典で文章を読み上げても効果はありませんよね。
抑止とは、
「やっても無駄だった。むしろ逆効果だった。リスクよりリターンが少ないな。」
と相手の心の中で、内省言語として呟かせることです。
広島、長崎の後、世界で核攻撃が使われていない。
この抑止力は何だったのでしょうか?
市長でも、国会議員のおかげでもありません。
無名の市民達が、強い心を持ち、邪険にならず、
小手先の復習を考えなかったからです。
では何を考えていたのか?
「あやまちをくりかえしません」
という碑文の言葉の本意は、どういうことなのか?
それが、自尊心を失った言葉ではない証拠は、
冒頭に述べた親や祖父母達の示した80年の生き方と行動です。
心を強く自らの歴史や国に誇りを持ち、
しっかり世界の近代史を見つめ直し、
大極を見極めて、大きなものに扇動されることなく、
敵味方が戦う意味すら無い世界にしよう。
ということなのですか?と、
原爆の日が来る度に、私は無数の御霊と先輩達に問うてみるのです。
そして、自分に何ができるのか?
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