大学生の頃、アメリカの長距離バスに乗った時に、
たまたま隣にすわった身なりの汚い男性(ちなみに臭い)。
ある日突然家を出て、
家族とも友人とも恋人とも別れて旅に出た、
と言っていた。
自分は自分の周りが作ってくれている。
それを捨ててみないと自分が解らない。とかかっこつけて言っていた。
25才の時、最初にモンゴルに行った時、
知り合いもいなく、
片言の言葉も解らない中で、
自分の生身で勝負しなくてはいけなくなったとき。
自分はなんて小さく情けない人間なんだろう、とキュ〜っと打ちのめされた。
自分を知ってくれている人もいない。
言葉で自分はこんなんですよ、と表現もできない。
思いっきり笑いのセンスをアピールすることもできない。
はたまた、
楽器ができるわけでも、めちゃくちゃ腕っぷしが強いわけでも、
すっごく背が高いわけでもない。
丸裸のちんちくりんでぴよぴよの自分がいるだけだ。
そんな中で文化も考え方も違う初対面の人と向き合う時、
何が必要なのだろうか。
もうそれは、
自分という人間がどういう人間なのか。
ということでしか勝負できないわけです。
それは日々の暮らしの中で培われるもので、
生まれたときから今までの生い立ちのメモリーで、
たとえれば年輪のようなものなので、
急いで取り繕ってもどうなるわけでもなく、
ただただ気付かされるのです。
あちゃ〜、となるわけです。
でも気付ければ、
そこから先の人生の舵を切ることができるのです。
もっとこんな風な自分になるぞ!と。
もっともてるぞ!と。。
ずっと仕事していて、なんだか、最近、
そんな生身の自分が弱くなっている。と感じてた。
もともと弱いだけなのかもしれないけど。とにかくあまり良い傾向ではない。
舵の方向がよろしくない。
良い子すぎる。
イモ欽トリオでいうと、ヨシオ役の山口良一みたいだ。
パンを焼いて、
沢山理解してくれる人に恵まれて、
なんだか言葉も聞いていただけて、
周りが自分を作ってくれているけれど、
さて、
自分一人で生身になったところで、何ができるのだろう。
モンゴルで打ちのめされた時より、
少しは成長できているだろうか。
フランスに来ると、
みごとに言葉も通じないし、
日本の文化も通用しない。
パン職人もありふれた職業だし、
言葉巧みに自分を語ることもできない。
そして見事なまでに、
あの時の自分と何も変わってないのです。
もうチキンにもなれてない、
ヒヨコです。ピヨピヨです。
日本の恵まれた環境は、
全て周りから与えられていたもので、
自分はなにも進歩していない。
この2ヶ月で、もう何年分も自分と向きあい、
自分の情けなく、しょぼくれて、度胸がなくて、
どうしようもない部分を見せつけられています。
でもいつもここからなのです。
ここに自分で気付いてからなのです。
さあ、頑張るぞ。おー。
と、自分で書いててなんですが。
でも、まあ、結局は変われないんですけどね。
ピヨな部分を含めて、それは今までの歩みの結果なので。
だからなんというか努力することが大事です。
ということでありまして、
理想像は、
『日本昔話』のオープニングで、
フルチンで手を振っている男の子です。
丸裸であの余裕、胆力、見事です。
以上。
渡仏して2ヶ月経った感想です。
パンのことは見事に忘れております!
deRienのfacebookページには載せきれなかった写真があります。是非みてください。
「石窯で焼く天然酵母パン/Boulangerie deRien」
SECRET: 0
PASS:
めちゃいい話です。私にも似たような経験、感覚があったときを思い出しました。ありがとう!そして、頑張って下さいね。
SECRET: 0
PASS:
yasukoさん>>ありがとうございます。みんなそれぞれそんな経験がきっとあるでしょうね〜。自分はがんばるぞ!と思ってもすぐ冷めてしまうので。常に暖め続けないといけません。疲れる性格です。。
SECRET: 0
PASS:
FBからきました。
とても共感できたのでついコメントしました。自分を見失ってしまいます。たまには外にでないとダメですね。
SECRET: 0
PASS:
KinokoSaradaさん<<人生には不幸が必要だ!と、昔何かの本で読んだのですが、それは色んなショックのことで、自分は特に、ショック療法でないとシャキッとできないので大変です。頑張ってショック受けましょう〜