旅するパン屋⑩/身近を大切にしつつ、ラクダを考える

(『中国新聞』2007年6月28日掲載)

「食べ物が、一番の環境問題じゃないか、、、」

大学時代、環境問題を激しく勉強した私は、
卒業後、
実家のパン屋には目もくれず、
活動の場を求め、家を飛び出した。

その時、父親が、
そうつぶやいていたのを、
私は、聞いて聞こえないフリをしていた。。

金沢、長野、北海道、
沖縄と流れ、
モンゴルにも住み、

山に登り、
海を漕ぎ、
馬に乗りながら、

環境の活動をし続けて、

そして、
パン屋に戻った今は、
自信を持って言えます。

「環境問題は、まったくもって食なのだ」

私たちにとって、
一番身近な自然は、
自身の体だ。
そして、それを作っている食べ物だ。

そんな身近な自然(=体)の事も本気で考えられないで、
もっと大きな自然である環境の問題を考えられるはずが無い。

足し算ができないのに、
方程式に挑んでいる様なものだ。

パン屋をやっていると感じます。

オーストラリアの記録的な間伐で、
小麦の値段は上がり、
不安定なアジアの気候で、
スパイスや、ドライフルーツも値上がりする。
エネルギー問題のあおりで、
何十年も変わらなかった砂糖の値が上がっている。

それらは、
私が今まで見て来たこと、

北海道で、
35度を記録したり、
沖縄のサンゴが枯れていったり、
モンゴルの、かつては小ラクダを隠す程茂っていた草原が、
今ではくるぶしすら隠してくれなかったりする事と、
リンクする。

もしも、
広島でとれたものだけを食べて、
生きていかなければならないとする。

海を汚すだろうか、
川を汚すだろうか、
山を削るだろうか、
安易に農地を宅地に変えるだろうか。

私たちは、
行動範囲が広まったおかげで、
視野がぼけ大切なものが見えていない。
食べ物無ければ終わりです。

だから、当たり前な感覚を取り戻す為に、
身近なものを
食べるべきだと思った。

それは、
例えば、フランス料理がこの辺りから無くなることを、
意味してはいない。

地元の材料で本場に負けないパンだって、チーズだって、ワインだって作れば楽しい。

そうして、食べ物を考えることで、
一番身近な自然=自分の体、
次に身近な自然=子どもや、孫のことを本気で考える。

そういう身に迫った感覚だけが、環境問題の解決に繋がるのではないだろうか。
そう、町のパン屋は思っているのです。