(『中国新聞』2007年6月28日掲載)
「パンなんてなくなってしまえ!」
とずっと思っていた。
実家はパン屋だったものの、パンは好きではなかった。
小学生の時にはすでに、屋上に寝転んで空を眺めながら、
パンを日本から一掃させる作戦を日々考えていた。
パン屋のペラペラした感じが嫌だった。
日本の食文化をダメにしているのはパンだと思っていた。
日本のふにゃふにゃはパンのふにゃふにゃだと思っていた。
次々と新しいパンが登場し、古いパンは忘れられ、
焼きたてを「ウリ」にし、その夜には捨てられて、
セカセカと、あれよあれよと、
文化のかけらも残さない、
「納豆を入れてみました」「たこ焼きも入れてみましょう」、
と技術よりも奇抜な発想が勝負の日本のパン。
でも、もんもんと考え考えしたところで、
日本からいっこうにパンはなくならない。
それどころか、
パンはしっかり根付いてしまって、生活の一部にさえなっているではないか・・・
なんてこった!
どうすればいいんだ。
その答えは旅をしながら見つけた。
パン屋になりたくなくて、
インドの紛争地帯、北海道の山奥、沖縄の泡盛宴会、モンゴルの草原馬乳酒宴会と、
旅を重ね、様々なものを食べては飲み、それをとりまく文化を観るうちに、
どうせパンを無くせないのであったら、いいものにしよう。
日本の文化となるような本物のパンを焼こうと思えるようになった。
「パンなんてなくなってしまえ!」
と思っていたのも、
パンが好きだからこそ、ペラペラが許せなかったのだ。
パン屋の両親の苦労を見ていたからこそ、フニャフニャのままでは悲しかったのだ。
しっかりと日本の食文化の一端をになえるぐらい、
どっしりかまえて、ゆるぎない、誇りを持てるパンを、
お客、職人、日本のパン達の為にも作らないといけないのだ!
そんな思いで今、
毎日夜中にパンを捏ね、サウナより汗をかける石窯のそばで薪をくべ、
火加減を見て一生懸命焼いている。
そこまで導いてくれた旅と、
パンの話を織り交ぜて読んでいただこう、
という連載です。どうぞよろしくお願いします。
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