けっして「捨てないパン屋」

昔は、沢山パンを捨ててきた。

良い材料を使わせてもらえばもらうほど、
パンが残ったときは、苦しい。

この感覚を、経験の無い人に伝えるのは難しい。
胃に鉛を流し込んだような、重い重い感覚。
取り返しのつかないことをした、どうやっても人に転嫁できない苦しさ。
叫びたくなるし、実際叫んだ。

その苦しさは、きっと、
食べ物を無駄にすることを許さない、
生き物として、もって産まれてきた本能であり、責任。
だから逃れられない。

だからパンが残った時はイライラした。
妻に「イライラしないでよ」と言われたけど、無理だった。
唯一の方法は、心を麻痺させて感じなくすること、
だけど、それはそれで違う気がした。


うちはもう、パンを5年間、捨ててない。

それでも、今でも、パンを捨てていた日々の心の苦しさは、
トラウマになっていて、おそらくずっと消えない。

朝から雨の日や、暑い日、客足が伸びなさそうな日は、心がザワつく。
そんな日は、パンなんて焼きたくない。その方がどんなに心が楽か。
でも仕込んだ生地は焼かないといけない。
夕方になっても、パンが沢山棚に並んでいると、反射的に、胃がグッと重くなる。


それが、
コロナで休業せざるを得なくなったこの2カ月。
ふと気づくと、心が穏やかで、パン作りに集中できていたのです。

それは、パン屋になって15年で、
初めての経験。
売れるかどうかの心配をせずに、
パンを作ることに集中できる。
すると、
パンを作るのは楽しいと思えた。
そしてそれを皆さんに届けるのは、とても幸せな作業だと感じた。


6年前、ラクダに乗って砂漠を越え、
モロッコの遊牧民のパン作りを見に行ったことがある。

売るためではなく、家族のために作るパン。
暑い中、汗をダラダラ流しながら、家族のために焼くパン。

その作業はとても美しく、
そのパンは、「売らなければ」という外向きのエネルギーは全くなく、
素朴でそっけなく、飾りっ気ゼロだった。
だけど、心に染みた。
次元が違うのだとおもった。
いつかこんなパンを焼いてみたいと思った。

店を休業している今。
気づくと、今は受注生産だけになっている。
ほとんどが定期購入の方。
見栄えを良くして、もっと売れるようにとか。
インパクトのある味で、まだまだ売れるようにとか、考えなくていい。

すると、モロッコでパンを焼いていた女の子の光景を思い出したのです!
今は、心豊かに、目の前のパンと、その届く先に集中していればいい。
心にざわつくノイズがない状態。

しばらく、店舗を開けずに、今の状態でパンを焼かせていただこうと思います。
来店くださっていたお客さんを思うと、とてもわがままだと承知しています。
でも、
きっと日本におけるパンという存在にも、
これから続く若きパン屋さんにも、
「捨てないパン屋」が日本中に当たり前のようにできるためにも、
何かを提示できると感じます。

ご理解のほど、よろしくお願いします。

2件のコメント

時々お世話になっております。東京都北区に住む吉田妙子です。

本当に、日本中のパン屋さんが
捨てないパン屋、受注生産のパン屋さんになればいいのにと思います。
うちの近所にもパン屋さんがありますが、
そういうお店でも、心意気さえ有れば、持ってる設備で
石窯でなくても、良い材料と技術で
ドリアンさんに負けない美味しいパンができるのかなあ、と
夢想しています。
そこら中の東京のパン屋にお願いに行きたい、、けど、門前払いかな。。
p.s.カレンズ間に合わず、残念でした。。

こちらこそ、お世話になっております!
そうなんです〜。自分もいろいろ考えてみたのですが、
パンが主食ではない日本では、天気や不確定要素によって、お客さんの数がとてもバラついてしまうので、
日本のパン屋さんは宿命的に沢山捨てるという現状です。
ヨーロッパのパン屋さんと同じように、沢山並べたくなる気持ちもわかるだけに、、、、。
「昔はパンを捨ててたんだって!マジで〜!」
という時代が来るようがんばります*(^o^)/*

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