「パンなんてなくなってしまえ!」
とずっと思っていた。
実家はパン屋だったけど、
小さい頃からパンが好きになれなかった。
日本のチャラチャラしたのはパンのせいだと思っていた。
売れればいいよ。
何でも入れてしまいましょう。
たこ焼き入れたよ、麺も入れよう。
奇想天外なアイデア勝負。
そして残れば大量に捨てて、
文化のかけらも残さない。
小学生の時、学校の屋上でパンを無くす作戦を本気で立てた。
それからパン屋だけはやりたくないと、
逃げて逃げて逃げまくる。
ブログの名前が「旅するパン屋」のとおり、
長野の温泉で雪かきしたり、
北海道で山ガイド修行、
沖縄は辺野古へ住めと言われたり、
はてにはモンゴルで遊牧民と馬乳酒飲んで酔っていた。
けど、
いろんな事情で、
終着点はパン屋だった。
そして、
パンは無くなるどころか、ますます世にはびこっている。
そもそも、
パンが嫌いなパン屋は成り立つのか?
どうしたもんだ?
でも、旅する中で少し気づいていた。
パンが嫌いなわけではない。
親の仕事を蔑んでいるわけでもはい。
ただ、
いろいろ作って、
たくさん捨てて、
文化としても残らない。
そんな日本のパンの存在や、
流行りに使い捨てられる職人の存在が、
悲しかったのだ。
だったら、
「百年残る、文化になれる、日本のパン」
買う人も、作る職人もが、
世界に胸を張って、
「これが日本のパンなのだ!」
と言えるものを焼けば良いじゃないか。
それが結果的に、
「パンなんてなくなってしまえ」
への答えになる。
という想いでがむしゃらにパン屋を続けた。
パンは今より未熟だし、不安定だし、そのうえまずいし、
裏に炭つき、砂までついてたり。。
そんな、
不味いパン屋を支えてくれたのは、
どちらかというと、
純粋にパン好きの人たちではなくて、
そんな想いに共感してくれた人たちだった気がします。
そう、
もう、ワイワイ、ワッショイ的な、
浮かれた熱の、
バブリーの時代ではない。
作る方も、買う方も、
次の世代に繋がる行動を考えている、
静かだけど熱い時代に変わってきています。
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