フランスにいた頃、
スーパーのレジで並んでいると、
レジの店員とお客が話し込む事がけっこうあった。
その後ろにびっしり他のお客が並んでいても二人は平気なのだ。
そして、後ろの人達は、何も文句も言わずに余裕の表情で並んでいる。
最初は不思議な光景に思えたけど、
だんだんと自然に感じてきた。
①レジの店員にとっては、
目の前のお客さんが、”今”のお客さん。
そこに全力投球なのだ。
焦るストレスも、急ぐストレスもない。
②お客にとっては、
今は自分のターン。
後ろの人を気にする必要もなく、
しっかり自分の要件を済ませ、会話し笑い、その時間を堪能できるのだ。
③待ってるお客にとっては、
自分のターンが来た時は、
自分もあんなふうに大事に扱ってもらえるんだ。
という安心感を得られるのだ。
みんなにとってノーストレスなのだ。
実際、
僕らは外国人なわけだけど、
目を見てしっかり挨拶をしてくれて、
今日は寒いわね、とかなんとか一言二言言ってくれて、
急いだり、焦ったりする素振りもなく、ゆうゆうと仕事をして、
良い一日を!
と笑顔で送り出してくれた。
気持ちが良い!
日本に帰ってから、スーパーのレジで、
「こんにちは!」と言ったらびっくりされた。
その後、いそいそとバーコードをピッピとして、ありがとうございました、
と言われたけど、流れ作業のありがとうございましたは、冷たく響くもの。
なんだか、
子供っぽい、と感じた。
大人気ない社会。。
だから、僕たちは帰国後、「目の前のお客さまに全力投球!」をかかげた。
店でレジに列ができたときも、
目の前のお客さんに全力投球。
常連さんだったら、一言二言話して、笑いあって、気持ちがこもった、ありがとうございました、を言おうと決めた。
その間に、誰かが「あのパンはどんなパンなん?」とか割り込んできても、笑顔で無視したり、「今はこのお客様の番なので」とお断りする。
もちろん、その人の番になったら、しっかり全力投球なのだから。
ネット店でも同じで、
メディアに出てしまったりして何百件の注文メールが来ようが、
いつも通りに定期購入のお客様とのやり取りを優先する。
その方たちは、いわば、ずっと並んでくれているわけだから、
当然、全力投球の対象だ。
その後で、注文メールを順番に対応する。
順番なので、当然返信が遅くなる人もでる。
イライラして、「いつ届くのよ!こんな店はじめてよ!」
というメールが届いたりしても、
僕たちは何も気にしない。
もし、顔が見えていたら、笑顔で無視したり、「今はこのお客様の番なので」とお断りするだろう。
実店舗での対応と同じことだから。
なぜだか、
みんなが急いでイライラしがち。
それはさらに伝染する。
どかかで誰かが断ち切って、
「急がなくてもいいんじゃない?」
て言うべきなのだ。
うわべだけの挨拶ならいらない。
すると、
お客さんに恵まれるようになる。
大人なお客さんが来てくれるようになる。
そんなふうにしてパンが残りにくくなっていく気がします。
こんにちは
いつも楽しく読ませていただいています。
日本って忙しすぎますよね。
私はスーパーの肌着売り場で働いていますが、お客様を待たせると怒鳴られたりします。
なのに、自分の必要なことを伝えなかったりします。
お会計でこちらが訪ねても頷くだけで一切しゃべらないお客様もいらっしゃいます。
私はフランス人と同じ気持ちで目の前のお客様に集中します。
(お会計中に横からしゃべりかけてくるお客様もいらっしゃいます)
そして、むっつりしていたお客様に笑顔で帰っていただけるよう心がけています。
お客さまは神様です。
というフレーズが、逆に、店員とお客さんの間をドライにしてしまった気がしますね。
やっぱり、お互いに気持ちよく会話したほうが、
その後の一日も違いますもんね。
それが沢山のシーンで行われていたら、社会全体では大違いです!
初めまして。
京都のはるです。
パンを先週 注文させて頂きました。
そろそろ来る頃かな と楽しみに待っています。
昨日 チーズとジャム何種類か買ってきました。
どれが合うか楽しみです。
忙しがり屋の私が のんきに楽しく待っています。
運転の仕事をしているのでワイン飲めませんので コーヒーか紅茶か そんなことも楽しみに待っています。
ゆっくり待つ そんなのもいいですね。
初めましてー。
ゆっくり待って頂いてありがとうございます!
パンたちも日持ちするので、
これまたゆっくり食べて頂けたら喜びます(^^)
急がない、というのは現代日本では無理でしょう。
というのも、都市化、社会化としてそういう仕組みになっているからです。
誰かが止めれば連鎖が断ち切れる、そんな単純なものではありません。その断ち切った誰かは、その余計な重みを自分で背負うことになります。
都市部の日本人は、みな時間にゆとりがないのです。
だから、自分も急ぐし他人も急かします。もうこれ以上疲労したくないためです。
例えば、通勤列車が2分遅れたとします。
この時乗換え列車のゆとりが1分しかなかった場合、会社に遅刻するかもしれません。
そしてわずか5分程度(実際馬鹿げています!)の遅刻で、さも重大な過失であるかのように咎められるのが現代日本の社会なのです。
それを防ぐためにはもっと早く家を出なくてはなりません。
こうした時間の数々が、日々我々の疲労を蓄積させています。
これは明治以降の近代化政策の結果として積み重なってきたもので、一個人が変えられるものでは決してありません。必ずムーブメント、世論というものが必要になってきます。
ただ、声をあげなければ、世論も起こりませんよね。
私も、こんな疲れるだけの優しくない現代日本の社会とは、本当に決別したいと思っています。
ひとつには都市部の人口が過密すぎますね。人が過剰に集中しなければ、もちろん一人一人と向き合う時間は取れるのです。
都市では無視し合う人々が、山では挨拶を交わします。
これは生物の本質として正しいことです。
それを道徳や倫理でねじ曲げることは、実際不可能です。
今の我々は、鶏舎の鶏と同じです。
見知らぬ誰かのために、とにかく卵を産んで、死ぬだけの人生なのです。
こんな生き方は間違っていると、目を覚ますべきです。
こんにちは。
そうですね、まだまだ変われない部分も多いいし、変わらないでいい部分もありますね。
わずか5分の遅刻で、咎め合う社会を、少しずつでも変えていきたいですね!!!
ジリジリと。