2018年夏休み、モンゴルへ原点回帰の旅

15年ぶりに、モンゴルへ帰る!

25歳の時に行ったモンゴルは、
社会主義から→民主主義になって、まだ10年経ったばかりの頃でした。

到着してすぐに、
大学教師をしているという大男に、

「モンゴルが一番厳しい時に来てくれてありがとう!」

と言われたことを覚えている。

道路のアスファルトには沢山穴が開いていて、
気をつけて歩かないといけなかった。
(知り合いの女の子は落ちて足の骨を折った、と言っていた。)

マンホールチルドレンもいて、
路駐している車を洗車して(勝手に自主的に)、
戻ってきた車の持ち主に、
「お金くれ」
と言う子ども達や、
(偉いです)。

路上で歌をうたって、お金をもらっている子ども。
(遊牧民の歌はもの悲しい)

スリの凄腕の子ども達。
伝説的な話では、
バスの中でスリに遭って、
落胆していたら、
次の日バスに乗ると、
ポケットにお金だけ抜き取られた財布が戻っていた。
という話も。

僕も目の前で、
スリをした少年がお金だけ抜いて、
歩道の上を財布をスイ〜〜〜〜〜!と滑らせて、持ち主の足下に戻していたのを目撃したことあるので、
あり得そうな話です。

夜は、酔っ払いがバイオハザードのゾンビのように、
町をふらふら歩いていて、
時々こっちによってくる。

ナイフ向けられたことも、
割った瓶を向けられたこともあった。

それでも、
羊肉の美味しさに感動した。

ボーズ(蒸し餃子)、
ベンシタイシュル(餃子入りスープ)、
ホーショール(揚げ餃子)、
ビンテイハルシュル(シンプルな羊のスープ)、
そして、
モンゴルフリークには定番の、
ツォイワン(蒸し麺)、
ゴリヤシュ(肉ゴロゴロ煮定食)、
なんかを、
ウランバートルの食堂を食べ歩いた。

そして、なによりも、
遊牧民のゲルで食べさせてもらった、
茹でた羊肉。チャンスンマハ。
そのスープで作られた、麺料理。ゴリルトイシュル。

それは、
草原の香る風や、朝露、
それらを吸い込んだ草を羊が一生懸命食み、
柵のない原野を走り回り、
恋をして、子どもを産み、
そして、肉となった。
(モンゴルでは子羊を食べるなんて、美味しくもない上に、非生産的で、野蛮なことはしません。)、

そんなドラマチックな映像が脳裏に浮かんでくるほどの美味しさでした。

青い空の下にぽつんとある、
白いゲルの中では、
馬頭琴奏者を囲み、
昼間っから、歌をうたいながら馬乳酒を飲む。

楽しそうな大人達に子ども達。

「日本では子どもの自殺もあるんだ」
と教えたら。

「タムラ、あまり嘘を言っていると、オオカミ少年になるぞ。ワハハ!うけるなお前。」

と全く信じてくれないおっさん。

良い国だな、と思った。

日本に帰る少し前に、
草原で逃げた馬を追いかけたことがあった。

遊牧民のなじみの少年、ソミヤと、
「いそげ!!」
と馬に乗って、
「兄さんはあっちに回って!」
と言われ、
V字型に分かれて駆けていって、
”小さい点”だった馬に追いつき、
回り込んで挟み撃ちにした。

駆けている時、

”草原を馬で駆けたい”
という学生時代からの夢が叶っているんだな。
その中にいるんだな〜〜〜!。
としみじみうれしかった。

モンゴルの草原では至る所に死があった。

家畜を殺して食べる。
その自覚があった。

そして厳しい自然の中で、
家族で生き抜く。

冬はすべてが凍り、
夏は乾き、
砂嵐が来たかと思うと、
稲妻が鳴り響く。

油断をすると、自分達にも死はすぐ迫る。

生々しく、
地に足を付けて生きている人たちがいた。

日本にいると忘れている。

「人間も一生懸命生きている動物なのだ」

ということ。

まさしく、僕の原点。

15年前は、山やっていたから何処でも寝れたし、いつも汚かったし、何ももってなかった。
こわいものはなかった。
時々自分でも、
「あの頃の自分はすごいな〜」
と思う。

いまやすっかり町っ子になった自分。
帰るのはちょっとこわい。

でも、
必要なのだ。