僕にはずっとコンプレックスがあった。
「パン作りで弟子についたことがない。」
ものづくりの師と仰いでいる、竹鶴酒造の石川杜氏から、
”弟子の構え”
をとることの重要性をいつも教えてもらっていた。
師のやることから、口癖から、癖までを真似る。
考えていることがわかるまで、
フュージョンする。
それは、
自分を消すこと、
の訓練。
「おれがおれが〜」
「おれのオリジナリティを見ろ〜」
という、
オレガオレガ光線を、
消すことの訓練。
そうるすることで、
結果的に、
本当の自分の個性が出てくる。
やるべきことが見えてくる。
真のオリジナリティは引き算から産まれる。
とはいえ自分も、
パン屋で修行を積んでない身。
この話をきいていると、
肩身が狭い思いがした。
ーおれにも当てはまるかもな、ー
と。。。
先日、飲んだ勢いで、
「自分も、修行積んでないので、弟子の構えがとれてないのかな、とコンプレックスなんです。」
と打ち明けた。
すると、
「いや、田村さんは弟子の構えとれていると思いますよ。」
そう言ってもらえて、
すごく嬉しかった。
でも、はて、なんでだろう?
パン作りで誰かに師事したことはないのに。。
思い返せば僕は、
大学生の時にこんなことをノートに書いていた。
ー自然のルールは、誰が作ったものでもない。
だから当然ウソもない。時が経っても腐らない。
世の中に数ある常識もルールも、宗教だって経済だって、
人が作ったものだからウソがある。
だったら僕はウソの無い自然の側の仲間になりたい。ー
学生時代は、本当に勉強をした。
もんもんと図書館で勉強した。
その結果。
机の前に座っているだけではダメだと思った。
自然のルールを学ぶ。
自然に対して弟子の構えをとる。
その為に、山に登ることにした。
登山の勉強は、まさに、自然のルールを学ぶものだった。
植物、天気、動物たち。
それから、その流れでモンゴルに行った。
”自然に寄り添う暮らし”
に対して弟子の構えをとる。
パン屋になってから、
伝統的なパン作りを目指したのは、
この、自然に対して弟子の構えをとっていた流れだったのだ。
だから、
自分にとっての、弟子の構えをとる対象は、
「自然」だ。
ということに今更ながら気づいた。
自然のルールには嘘がない。
今も昔も、良い師に恵まれていたんだ!
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