飲み込んで消化してしまう

儒仏道禅神。

日本には、もともとの神道があって、
海外から来た、儒教も、仏教も、道教も、禅宗も、受け入れて仲間に入れて、
なおかつ、独自に発展させてきた歴史と実績がある。
山伏の山岳信仰も、神仏習合に、老荘思想も入っている。

ユーラシア大陸の東の端っこという地理的要因もあって、
いろんなものが流れ着き、それを取捨選択し、ぐるぐるっと混ぜ発酵させてきた。

だからこそ、牛乳が悪いとか、小麦が悪いとかいうのは、
ご飯味噌汁ラヴァーの僕も、気持ちはとても解るけど、
日本人のその能力を過小評価し、もったいない、
なにより、”らしくない”と感じるのです。

日本で、
イタリアで食べるよりもイタリアを感じる店を僕は知っている。
フランスの三つ星で働きそのアンチテーゼを表限している熱いフレンチを僕は知っている。
もう本場から輸入する必要のないほどの力をもったチーズ工房を僕は知っている。
日本人の身体に染みわたり心地よく酔わせるワイン工房を僕は知っている。
うちのパンだってどこのヨーロッパの国にも自信をもって出せる、
グルテンアレルギーの人にだって食べさせられる。
ヨーロッパから修行に来たいと言われたこともある。

100年後に取捨選択によって、どれが無くなり、どれが残っているかは解らない。

けれど、今、こんなに知識や生活様式が西洋化した中で、
もともとの大和魂なるものをもって熱く仕事に精進しているのは、
そんなものづくりを追求する人達にこそ多い気がする。

なぜなら、それらの仕事は、自然の摂理から離れられないから。

自然から学び、自然をお手本として、ものづくりに励む。
自ずと、世代を遡って、先輩、ご先祖のものづくりからも学ぶ。
それは、クラシック音楽や、源氏物語のように、古さや新しさを超えて、
国や時代の枠を飛び越える。

何かが悪いと叫び排除するよりも、
飲み込んでしまいたい。
飲み込んで消化して、僕らの強さに変えてしまいたい。

ここが、僕らの十八番で、得意なところで、
世界をギャフンと言わせられるところだと思うのです!