(『中国新聞』2007年7月5日掲載)
僕は、パン作りに迷うと、山へ登る。
「なるべく自然にパンを焼く。」
それが、僕のモットーだ。
石臼で挽いたグレーがかった小麦粉を使い、
水と塩だけで捏ね、薪で焼く。
自然の理にあっていれば、ウソの無いパンになるはずだからだ。
自然のルールは、誰が作ったものでもない。
だから当然ウソもない。
時が経っても腐らない。
世の中に数ある常識もルールも、宗教だって経済だって、
人が作ったものだからウソがある。
だったら僕はウソの無い自然の側の仲間になりたい。
けれど、
僕らの世代は、山で芝刈りしたり、川で洗濯したりと、
桃太郎のお話のような生活をしたことはないから、自然界から仲間はずれをくっている。
一昔の日本人なら誰でももっていた、
季節を感じ、植物や動物や、目に見えないものまでもを感じる力を、
どうやら、無くしてしまったようなのだ。
そこで、僕は山に登ることにした。
雨が降っても、雪が降っても山を歩き、その地形や植物や動物のことを知り、
火を焚き、川の水を飲み、夜の寒さに震えて、暗闇に恐怖すれば、
すこしは自然側の人になれると思ったのだ。
本格的に山の勉強をしたのは、北海道で山ガイドの修行をした時。
毎日毎日山へ登った。
時に岩を登り、時に川をよじり、
お客さんの荷物を背負って、一歩一歩ハーハー言いながら歩いた。
山へ通っていると、
季節に敏感になり、空を見るようになり、風を気にするようになる。
山菜の味を知り、
山で飲む水の美味しさを知る。
谷や尾根の起伏の造形美に圧倒され、
感動と恐怖が一体となった自然の芸術性をみる。
だから僕は、
今でもパン作りに迷うと、山へ登るのだ。
久しぶりに行くと、
山は街暮らしに慣れた僕を拒む。
クモの巣が煩わしく感じられ、虫を気持ち悪く感じ、土の湿り気が肌に合わない。
でも、
山の頂で焚き火を焚いて、一晩過ごす頃、
やっと自然の側に帰れる。
ホッとやさしく、ゆったりと、
自然が包み込んでくれるような安心感を覚えるのだ。
そんな時、
リュックから自分の焼いたパンを取り出して食べる。
その場の雰囲気にしっくりと馴染んだのなら、、、
僕のパンは大丈夫だ。
なんか
そろそろ違和感
そもそもこんなです(^^)