「おいしくないパン」を焼く

僕が焼くのは、「おいしくないパン」。

モロッコの砂漠に住む遊牧民の少女が、
家族のためにパンを焼くところを見せてもらった時。
一口試食させてもらって、「あれ?」となりました。
無意識で期待していた、
「わー、おいしー!」
というものではなかったからです。

好かれたい、印象に残りたい、記憶に留まりたい、という、
「見てみて感」というか、「俺が俺が感」が0%。
はじめて出会った、
お店では決して出会えないパンでした。

と同時に、「これが本来のパンなんだ」と痛感したのです。

家族のために日々作るパンと、華やかなハレの食としてのパンは、
別のカテゴリーの美味しさです。
どちらが良い悪いじゃありません。

でも、今の日本に必要なのは、そんな「好かれなくたって構わない」という、
受け手の利益100%だけを考える優しさなのかもしれないと思っています。

だから、うちは「おいしいパン」を目指していないのです。
遊牧民の少女が先生です。

それは、今やっているお米づくり、
パン学校、そしてコーチング、すべてに共通の理念です。

パン屋として好かれたいんであれば、そもそもお米なんて作らないですよね。
普通は小麦育てます。(^.^)汗

でも、お客さんの体や日本の食文化、食糧のことを思うと、
お米とパンという両輪を眺めることが不可欠になってくる。

パン学校、コーチング、研修生さんだったり、
今までたくさん旅立っていきました。
けれど、好かれようと思わないようにしています。
(よく、学校事務局と揉めます。。)

好かれようとサービスをすると、大切な何かが変わっていく。
美味しいパンを焼こうとすると、大切な何かが変わっていくのと同じです。
自分の利益がチラついてしまうからです。

そうすることで、参加者の満足度は上がるかもしれない。
でも人生を激変させるために必要なのは満足感ではなく、
今の自分への違和感や、理想の自分とのどうしようもない不協和、
それを何とかしようともがくエネルギーです。

うちのパンも、味はドライです。
甘いわけでもないし、香りが華やかなわけでもない。
食べた後はすっと忘れちゃうようなパン。
それが、日々の糧の食糧だからです。

同じように、
ドリアンに立ち寄り、旅立っていく人たちにとっても、
うちの存在はドライでありたいと思っています。

後味が残らない。
「あ、そういえば、あんな人いたな。」
ぐらいがよいわけです。

もうはるか昔の20代、モンゴルでホームステイの仕事をしていた時、
机の前の壁に「忍」という文字を半紙に書いて貼っていました。

お客さんと遊牧民さんがとっても濃い時間を過ごし、
そこに田村がいたという存在が消えるほどいいプログラムになる。
でもいないと成り立たない、だから「忍」。

それは時に寂しくもあります。わーきゃー、言われたいです。

でもとっても大きい充実感と喜びをもたらしてくれるのを、
僕はその頃から知っています。

モロッコの遊牧民の少女も、
僕が「キツい仕事だね」と聞くと、
煙で涙を流しながらも、威厳に満ちた顔で、エッヘンと、頷きました。

その充実感。なんだか共感できるのです。

長くなりましたが、我がドリアンのパン、米、学校、コーチング、
そして遥か昔に自分がやっていたモンゴルの仕事、
すべてに繋がる一本の骨のような理念。

それは一言で表すと、
「おいしくないパンを焼く」
ということの話なのでございました。

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