飛行機と笑顔のパイロット

知り合いのパン職人が亡くなった。
今日、マルシェで接客していて、お客さんから聞いた。
「彼は3年前に亡くなったんです。ご存知ですか。」
あまりにショックでうまい受け答えもできず、
その後のマルシェは上の空で過ごした。
10ぐらい年下の彼は、
本当にパンを好きな青年だった。
製パン専門学校時代から、うちにちょくちょく来てくれて、
卒業の為の1週間の研修も、うちでやった。
大雪のとき、
だれよりも早く出社して、
駐車場の雪を一人で雪かきしてくれた。
本当にいい青年だったので、
本当はうちで働いてほしいな、と思っていた。
でも、当時、うちではまともな給料は払えてなかったから、
こちらから言うことも出来なかった。
彼は、首席で製パン学校を卒業した。
卒業制作で作った、パンで作った複葉式飛行機。
「紅の豚」に出てきそうな飛行機と、
笑顔のパイロット。
他の生徒の作品とは群を抜いていたその完成度。
パンが好きなんだなー、と伝わって来た。
パイロットはニコニコと笑顔で意気揚々とした表情をしていた。
彼は広島の有名パン屋に晴れて就職。
立派に店を切り盛りしていた。
普通の新卒にはできない仕事だ。
「どんだけ焼いてんの」
「10万ぶんぐらい焼いてます」
なかなか一人で回せる量ではない。
「すごいよ!」
と本気で讃えた。
恋人の話をしに来たり、
パンの話をしに来たり。
「休み前の日には、本通で歌ってるんです」
「そんなこともしてんの!」
ということもあった。
聞きに行けば良かった。
金貯めて買ったという自慢のバイクで、
僕の休みの日の前の閉店間際、
というなんとも、心憎い時間帯に来ては、しばらく話して帰っていった。
疲れているだろうから、
帰り道が本気で心配で、
「気をつけろよ=」
と、
バイクが見えなくなるまで見送った。
彼は疲れていた。
そんな時に、実家のお父さんが亡くなった。
彼は地元島根に帰った。
電話をして、
「才能あるんだから、パン屋で働けば、いくらでも雇ってもらえるでしょ」
と話したら、
「パンはちょっといいかなって」
と他の仕事を始めたと言った。
それからすこし経ってまた用事があって電話した。
「広島でパン職人探してる人いるから、戻ってこない」
「今はいいです。ほんと、すみません」
でも、それが最後の電話だったのだ。
彼が亡くなったのは、3年前。
僕は何もしらなかった。
その電話からそんなに経ってないころにだったのだ。
僕は今まで、人の死に対して、泣いたことはない。
でも、
今回ばかりは、涙があふれてしまう。
なんでだろう。
すごく悔しくて。
どこかで、5度でも人生の角度が変わっていれば、
彼の人生は全然ちがうもっと輝いたものになっていたはずだ。
どれだけ、悩んだのだろう。
どれだけ、苦しかったのだろう。
僕は、あんなに、知っていたのに、
何度か飲みに言って、もっと話をきいておけばよかった。
もっと一緒に夜の流川でも行って憂さ晴らしをさせてあげることもできた。
なによりも、
疲れた顔をせずに、もっと一晩でも話をきいてあげるだけなんて、簡単だったはずなのだ。
なのに、
僕にも余裕がなかった。
「広島にもどってこい!君が必要なんだ!!!」
と、
なんで最後の電話で言わなかったんだ。
お金なんて、
どうにでもなるじゃないか。
なんでもっと、もっと、
もうちょっとでも、1度でも方向を変えてあげることぐらい、
ぜったいにできたのに。。。
くやしい。
彼がバイクで夜道を帰っていく姿を、
思い出す。
「マジで気をつけろよー。危ないからな。」
本当に心配で心配で、
見送った。
そのシーンばかり何回も思い出す。
すると、
涙があふれる。
あれだけ、
気をつけろって、言ったじゃないか。。。
大丈夫です。
て言ってたじゃないか。。。
誰が悪い訳でもない。
けど。
ただただ、
もっともっと、人と本気で関わらないとダメだ。
deRienのfacebookページには載せきれなかった写真があります。是非みてください。
「石窯で焼く天然酵母パン/Boulangerie deRien」