パンの穴から世界を見た④ ボラの悲しみ 

(『中国新聞』5月30日掲載)



(マルシェで売られていたボラ左。右はアナゴ、フランス・ナント)

ボラ。
これほどまでに悲しい魚がいるだろうか。

川と海の町広島に住んでいれば一度は目にする魚。
子供のころハゼを釣っている時にたまに釣れて、家に持って帰ると、

「ボラなんか釣ってきてどうするの〜」

と親に言われたものです。

要するに臭くて不味い、ネコもまたぐ魚であります。

そのボラと久しぶりに対面したのが、
春先のフランスのマルシェ(市場)。

ほかの魚と一緒に氷の上に並べられているボラは、
凛として、すがすがしく、ピュアな瞳を潤ませて、
なにやら私の知っている、
河口の水面でぽちょぽちょ泳いでいる彼では無かったのだ。

そして人々がどんどん買い求めていた。

フランス語でネット検索してみると、
ボラ料理がたくさん出てきた。

トマト、レモン、パプリカなどとオーブンで焼く見事な一品の”mulet au four”から、
庶民的なフライまで。

日本でももともとは身近で重要な魚だったのだ。
地域や季節によっては高級魚。

ボラは何にも悪くない。
もともと臭い生き物でもない。
根はとっても良いやつなのに、
ちょっと不良な友達とつるんでるが為に、
悪く思われている少年みたいで、

「お前の本当の姿はそんなんじゃないのは先生知ってるからな!」

と肩を叩きたいくらいなのです。

要するにボラは海の味。
海が汚れていれば汚れた味になる。

高度成長期、多くの河口がヘドロに埋まって以来、
ボラと私たちの絆は切れてしまったのであります。

もちろんこれは、
広島育ちの私自身への自省でもあるのです。

海を奇麗にする努力を、
これでもかこれでもかと、

「市民総出でこんなにやってるんですよ、
世界にも類を見ない技術で、
町としても金をかけて、
だから海が奇麗で魚も貝も旨いんですよ」

と言えるほどしているか、
という問いを投げかけたいのであります。

かつては宮島への渡し船から海底が見えるほど水が澄んでいたとか。
そんな海、
良いじゃないですか。

ちなみにそんなボラと同じ海に、
我らが牡蠣もいるのですが、
生ガキには、
色の濃いパンにバター塗って辛口白ワインが最高です。

今日もボラはぷかぷか泳いでいます。

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ps
うちの妻は広島では牡蠣で何度も当たり、牡蠣アレルギーと診断されてます。
でもフランス・ナントでは毎週マルシェで牡蠣を買って、何十個も生で食べても、ケロリとしてます。
牡蠣自体ではなく、海の問題だったのですね。
なんとなく、牡蠣のことは書きにくいので、、、友達のボラのことも書いたのでした。