テクテクの杜 で衝撃を受ける

昨日お風呂で息子の一雲が、「テクテクにまた行きたい。楽しかったから」て言いました。
初日から、泣いてばかりの一雲だったので、夫婦で「そっかー!!」て歓声をあげました。
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これまで、どれだけ、先回りしていたのか、
世間体を考えて、子どもと付き合っていたのか。
山口正人さん(まっとさん)と、子ども達を見ていて、グサグサと気づかされました。


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研修1日目、一雲は泣き叫び、自分の内面を見つめました。
「研修させてもらっているのに、どうしよー」という世間体が、
まざまざと一雲の叫びになっていたことに気づきました。
子ども達が、子どもらしく、でも凜としていたのと同時に、
関わる大人達も、大人として、芯を感じました。
自分に芯がなく、子どもになびいてしまうと、
子どもも子どもらしくなくなってしまうのか。


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初日は、最初からずっと、抱っこだった。息子的には、そりゃそうだな、と思った。
いきなり、知らないところに連れてこられて、アウェーの子ども達がワイワイしているのだから。
それで、親からは、世間体から、歩いたら、歩いてみる?
なんか聞かれて、もうやだーっとなるよな。。そりゃ。

帰ってからも、テクテクの中に入ろうとせず、抱っこで散歩していた。
帰りにはしおしおのパーだった。
散歩しながら、ごめんねと言った。


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二日目
関わる大人達が、親御さん達を含めて、違うなと気づいた。
自分の芯をもっている。子どもに迎合していない。子どもを利用していない。
自分を振り替えさせられた。


子どもがこどもらしくあるためには。
大人がおとならしくあらないといけない。
それが先だと気づいた。


公園に行く途中。引き返して、お母さんのところへ行く。とぐずりだした。
どうにもならなくなった。
あの時の僕は、まっとさんの話をもっと聞きたいなと思っていた。


でも、息子は母に会いたい。
折り合い。自分の内面。
まだまだ修行不足。。

コントロール使用とすると、先回りしてしまう。

例えば、
朝、時間通りに進めようとすると、
服を着せて、カバンも持ってあげて、抱っこして車に乗せて、となる。
まつこと。
まてること。


大人のリズム、時間の進み方とは違う進み方が、自分が小さいときにもあった。
そりゃ、大人の思うようにはいかない。
そりゃそうだよな。と思えた。


覚悟。だと思った。
覚悟があれば、見守れる。

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ちなみに、地元に帰った後の話。
保育園にいくときに、靴を履いていた。3メートルくらい離れて見てた。
履き終わったあとに、こっちを見上げた。
このタイミングなのかもしれないと思った。
このタイミングで、どんな表情を返してあげるか。
遅いなーと、イライラした顔か。
見てなかったり、そこにもういなかったり。(それもいいのかもしれないけど)
まっとさんだったら、無言でうなずくのだろうか。

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研修二日目は、ごはんも食べれた。
子ども達の食べる量にまず驚いた。だいたい、おかわりする。ペタペタご飯をついでいる
残さない。自分で洗う。


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研修三日目

掃除の時。
床をふいていた。
ご飯粒がこびりついていた。それを、思いでといっていた。
それを、丁寧にふきとって、今日もさあ汚してください!!
床磨きは、自分との対話。

朝日の当たるテクテクの板場で、まっとさんと並んで床を磨いたのが、なぜだか一番の思い出になっています。
覚悟がちがうな。
とそこでも感じました。

「修身」という言葉が頭に浮かびました。
国や、地域や、家庭を良くしようと思ったら、まずは、自分の身をしっかり修める。
思えば、自分は、この「修身」がまだまだ未熟なのかもしれない。
それが、子どもに鏡となって現れている。

三日目の散歩でも沢山泣いた我が息子。
それでも、自分でリュックを背負い、母と手をつないで歩ききったのには、感動してしまった。
きっと、自分でも多少自信がついたのか、落ち着いた顔になったなと感じた。

そして、ご飯の時。
ご飯をおかわりしていたのにも驚きで、それを山盛りぎゅうぎゅうに詰めていて、
僕は、食べられないと思ったので、必死に止めた。
でも、本人は注ぎ。そして、食べきった。


本当にびっくりした。そして、子どもを信頼していない自分にも気づいた。
自分が思っている以上に、何でもできるのだ。


自分が思っているところが、
まっとさんが例えに上げていた、ノミのケース。

自分は、しらずしらずのうちに、これ以上飛んではいけないよ、
というケースをあてがっていた。
そんなケースがなければ、子どもはもっと元気にピョンピョン飛べるのだ。
そこでも、世間体と、覚悟だと思った。

けれど、これは、子育てだけに言えることではないな、とも思った。
人生全般において、自分自身にさえも、ケースをあてがっているのかもしれない。
だからこそ、子どもに、ケースをあてて見てしまっている。


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三日目の昼食時の光景をずっと味わっていたかった。
大人もしゃんとご飯を食べて、みんな、ワイワイしつつも、もりもり残さず食べて、
卑怯なことを本気で叱ってくれる大人がいる。


骨のあるコミュニティー。


すごく新鮮で、おどろきの光景でもあるのに、懐かしい光景だった。
自分も、この地元で少しずつでも歩き出したいと思いました。