モンゴルでウンコを考える

「モンゴルのホームステイ-モンゲル」
−3才にしてウンコの達人。チョージョーさんの産まれたままのお姿−

 かばんからこっそりとトイレットペーパーのロールを取り出して、
 ゲルの外に出る、
「ウンコに行くんではありませんよ、
 ちょっと外の様子を見に、」
 とさりげなく出ていこうとすればするほど、
 なぜかちょっと小走りになっちゃったりして、
「あいつウンコにいったな」
 と周りにはバレバレである。
 かっこわるいのであります。
 モンゴルの大草原で如何にウンコをさりげなく、
 そしてかっこよくするかは、
 大きなテーマであり、
 そして毎日おとずれる戦いといえないこともなく、
 その1日を大きく左右してしまう天王山といっても、
 けして大げさではないのです。
 そもそもトイレットペーパーは、
 トイレの個室の中で、
 誰にも見られることがない場合には「キレイ」
 かもしれないけれど、
 一歩外に、
 ましてやモンゴルの草原に出てしまうと、
 そのヒラヒラしたいかにも貧弱そうな態度は、
 そのウンコの主人の人格さえも疑ってしまいたくなるほどの、
 芯のない、男気のない印象を与えてしまうのです。
 そこで私は唐突に、
 野外でのウンコの後始末には、
 断固として”石”を主張するのでありました。
 そして状況が許すなら”木の枝”を補佐役に据え、
 ハーブの香りただよう”草”でやさしく仕上げ、
 というのが理想なのであります。
 ある夏、これを教授してくれたのはチョージョーさん(3才男性、↑の写真)
 自分の恥を省みず、
 日本から来た世間知らずな私の為に、
 おもむろにズボンを脱ぎ捨て、
 排便したかと思うと、
 適当な小石を尻にあててはポイッと捨て、
 次の小石をあててはポイッと捨て、
 その軽快なリズム、
 石を選別する確かな目。
 次の瞬間には下半身裸のまま、
 何事もなかったかのように歩き去っていくそのさりげなさ。
 かっこいいのであります。
 
 後に残されたウンコも、
 ヒラヒラしたトイレットペーパーの添え物がないそれは、
 いかにもしっかりと大地に足をつけ、
 何かをやり遂げた確かな自信と、安堵感を漂わせ、
 朝日に輝いていたのでした。