捨てないパン屋5「パンなんてなくなってしまえ」

「パンなんてなくなってしまえ!」

とずっと思っていた。

実家はパン屋だったけど、
小さい頃からパンが好きになれなかった。

日本のチャラチャラしたのはパンのせいだと思っていた。

売れればいいよ。
何でも入れてしまいましょう。
たこ焼き入れたよ、麺も入れよう。
奇想天外なアイデア勝負。

そして残れば大量に捨てて、
文化のかけらも残さない。

小学生の時、学校の屋上でパンを無くす作戦を本気で立てた。

それからパン屋だけはやりたくないと、
逃げて逃げて逃げまくる。
ブログの名前が「旅するパン屋」のとおり、
長野の温泉で雪かきしたり、
北海道で山ガイド修行、
沖縄は辺野古へ住めと言われたり、
はてにはモンゴルで遊牧民と馬乳酒飲んで酔っていた。

けど、
いろんな事情で、
終着点はパン屋だった。

そして、
パンは無くなるどころか、ますます世にはびこっている。
そもそも、
パンが嫌いなパン屋は成り立つのか?
どうしたもんだ?

でも、旅する中で少し気づいていた。
パンが嫌いなわけではない。
親の仕事を蔑んでいるわけでもはい。

ただ、
いろいろ作って、
たくさん捨てて、
文化としても残らない。

そんな日本のパンの存在や、
流行りに使い捨てられる職人の存在が、
悲しかったのだ。

だったら、
「百年残る、文化になれる、日本のパン」

買う人も、作る職人もが、
世界に胸を張って、

「これが日本のパンなのだ!」

と言えるものを焼けば良いじゃないか。

それが結果的に、
「パンなんてなくなってしまえ」
への答えになる。

という想いでがむしゃらにパン屋を続けた。

パンは今より未熟だし、不安定だし、そのうえまずいし、
裏に炭つき、砂までついてたり。。

そんな、
不味いパン屋を支えてくれたのは、
どちらかというと、
純粋にパン好きの人たちではなくて、
そんな想いに共感してくれた人たちだった気がします。

そう、
もう、ワイワイ、ワッショイ的な、
浮かれた熱の、
バブリーの時代ではない。

作る方も、買う方も、
次の世代に繋がる行動を考えている、
静かだけど熱い時代に変わってきています。